柏崎刈羽原発直下の活断層

柏崎刈羽原発敷地直下の活断層の活動性

  東京電力の柏崎刈羽原発の原子炉建屋やタービン建屋など重要構造物の直下には23本の活断層があります。東京電力はそれらの活動年代を30万~20万年前とし、規制基準に言う活断層の活動年代「12~13万年前」より古いので、活断層ではなく、今後活動しない、と強弁。原子力規制委員会もそれを妥当としました。
 規制基準に言う、12~13万年前以降に活動していないことが明らかであれば、今後活動しないという基準は科学的には根拠のないものである。日本における地震活動の評価を統括する地震調査研究推進本部では、2010年に、40万年前以降に活動した断層について,今後も活動する可能性のある断層としての目安にしています。原発の耐震安全性を考える際には、少なくともこの40万年を目安とするべきです。

 東京電力による断層の活動年代の決め手ー刈羽テフラ

 一方、東京電力が敷地内断層の活動年代を30万年から20万年としていますが、この上限の値は、敷地内に見られる刈羽(y-1)テフラ(火山灰)が、下北半島の東沖合、太平洋底でのボーリング掘削で見いだされた火山灰と化学組成が似ていることから、その火山灰の堆積年代をおよそ20万年前と推定しているのです。不思議なことに、対比されるこの火山灰は、唯一、この下北沖だけに産出し、東北地方から関東北部、どこにも見いだされていません。まあ、20万年前というと、高位段丘堆積時ですから、保存が悪く、かつ、未調査も多いので、見いだされていないだけ、という可能性もあります。また、その時代の堆積物は平野地下でもあまり掘削されていません。

 私たちはおよそ25年以上前になりますが、柏崎平野周辺の大地の歴史、形成過程を明らかにするために、調査を進めていました。その調査の中で、敷地の中の刈羽火山灰と同じと考えられる火山を、柏崎刈羽原発周辺の何カ所かでも見いだしていました。柏崎市藤橋でも、かって、新潟工科大学の建設に際しての道路工事で見いだし、藤橋40火山灰と命名し、化学分析を含めて記載しています(荒浜砂丘団体研究グループ、1996)。活断層を記載した刈羽村寺尾西でも見つけていました。東京電力は寺尾西の火山灰は敷地内の刈羽テフラと同一のものであることを認めています。

 この火山灰がなぜ、重要かというと、東京電力は規制基準への適合審査の申請書では刈羽テフラを下北沖のおよそ20万年前の火山灰に対比し、この火山灰を挟む地層を、中位段丘堆積物である,安田層から分離し、より古い時期に堆積した古安田層としているのですが、藤橋における藤橋40火山灰は、中位段丘堆積物安田層の下部に挟まれているからです。刈羽テフラは古安田層、しかし、それと同じ火山灰である藤橋40火山灰が安田層となれば、東京電力の層序の解釈は大きな矛盾を持つことになり、20万年前という根拠が否定されるからです。

 柏崎刈羽原発活断層研究会(荒浜団体研究会とほぼ同じメンバーですが、こちらは原発の安全性を地質学的視点から追求することを目的にしています)では、安田層の堆積した年代を定めるために、福島原発事故後、あらためて調査・検討を進めています。これまでに三度、原子力規制委員会に「厳正な科学的審査」を求めてきました。
 
 7月初めには、藤橋の工科大学前の林道脇の藪で、安田層中の火山灰を掘り出し、火山灰試料を採取しましたが、昨日は少し離れた向陽団地の東の大きな露頭(写真1)で、安田層の観察・記載を行いました。
向陽団地東露頭

 この露頭は、東京電力がすでにその佐藤池新田の露頭(写真2)として、報告しているところと同じものです。よく似ているとは思っていたのですが、東京電力が記載した当時より、左手やや奥を鍵型に掘り込んであり、少し見かけが違っていたのです。

東京電力佐藤池球場

写真1と2を比べると、やや青みがかった灰色の泥層の高さが違います。現在の露頭(写真1)の上部の赤みがかった地層の真ん中にある白っぽい地層のすぐ下までが、写真2では灰色に見えているのです。表面を覆う風化した粘土を取り除くと、新鮮な暗灰色の泥層が出てきます。そして、東京電力の解釈でも、この暗灰色の泥層が安田層下部、白い層(砂)から上が安田層上部に分けられています。

 私たちは,昨日の観察・調査で、この下部の泥層から、3枚の火山灰層準を見いだしました。その中に、藤橋40火山灰と同じ火山灰があれば、東京電力の安田層・古安田層層序の誤りは決定的です。

 刈羽テフラと向陽団地東の露頭の火山灰が同一のものかどうかの対比が決め手
 いくつかの地点に産出する火山灰層が同じものであるかどうかは、その層序、産状、砂粒組成、ガラスの屈折率や化学組成など、いくつかの点について検討しなければなりません
 火山灰の分析には今少し、時間が必要です。分析結果が出れば、またご報告します。

 ちなみに、安田層下部の上半部は海の影響が強い環境で堆積した地層で、地球が温暖で海面が高い時期に堆積しました。この写真の暗灰色の部分です。
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原発を拒否した巻町住民の運動

原発を拒否した巻町住民の運動

 この3月10日、東京堂出版から刊行された「核の世紀」(編者小路田泰直・岡田知弘・住友陽文・田中希生)に、「地域と原発」と題して寄稿した。この寄稿文では、「原発建設を阻止した運動の教訓」という節で、新潟県巻町における日本で初めて住民投票でもって原発建設を阻止した運動に学ぼうとの趣旨で自分なりに当時の運動を整理した。この住民投票が行われて20年となる。
 新潟では,更にその後、東京電力が柏崎刈羽原発でプルサーマルを導入しようとしたとき、刈羽村で住民投票が行われ、このときも導入反対の意見が多数を占め、新潟県と柏崎市・刈羽村の首長三者は、柏崎刈羽原発へのプルサーマル導入に反対せざるを得なくなり、東京電力をして断念させたのである。

 柏崎刈羽原発の再稼働を巡って、原子力規制委員会で審査が続けられ、地盤や断層,基準地震動など、柏崎刈羽原発の審査の山とされてきた課題がおおむね妥当とされた現在、県民・住民の多数が「再稼働には反対」と考えている中で、再稼働を現実的に阻止していく運動において、私は巻原発の建設を拒否した当時の町民の運動,プルサーマル導入を拒否した刈羽村の運動にあらためて学ぶべきだと思っている。

  「核の世紀」への寄稿「地域と原発」の一文を,少し長くなるが次に引用する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
建設予定地の角海浜から13kmに位置する新潟大学では、1994年に巻原発建設反対新潟大学連絡会を結成し、現地巻町の町民会議や全県の連絡会と連携しつつ、署名やアピール活動、講演活動などに取り組んだ。筆者はその事務局を担っていたが、住民投票の結果について次のように報告した。

8月4日、新潟県巻町で東北電力巻原子力発電所の建設の賛否を問う住民投票が行われた。その結果、建設反対という巻町住民の意思が明確に示された。この結果は国・電力資本に対しエネルギー政策の転換を求めると同時に、日本政治の民主的改革を進める道筋の一つを示した。巻町住民投票の経過と結果を、日本国憲法の柱の一つである住民主権と地方自治という観点から報告する。

政治状況を打破する質的に高い運動:
国政において国民の総意と相反する政策が相次いで進められ、一方、地方自治体は国政に唯々諾々として従っているのが大勢である。このような政治状況の中で、住民投票の実現を勝ち取り、成功に導いた運動は住民自治に根ざした地方政治のあり方を指し示しただけでなく、エネルギー政策という国策の中心的課題をも揺るがすものであった。現在の政治状況において住民運動・労働運動を軸に政治に民主主義を求める闘いはさまざまな分野で発展している。しかし、巻町の運動は、町政の主人公であるすべての住民が、自らの命と生活、将来の町のあり方について自らの意思を表明し、政策を決定するという、これまでの運動とは質的に異なる、より高次の民主主義確立の運動であった。

運動の中での住民の自治意識の高まり:
巻町は従来、政治的には保守的風土の強い地域で、首長や議員選挙において『西蒲原選挙』と呼称される酒食供応・買収が横行していた。そうした風土にもかかわらず、ここ数年間の住民の自治意識の高まりは予想をはるかに越えたものであった。巻町の反原発・原発の危険に反対するグループの原発の建設に反対する地道な運動(*今回の運動の発展の中で、『住民投票』で原発建設を止める6団体連絡会)として共闘)が粘り強く進められていた。こうした運動が基調になってはいるが、今回の運動は、町の将来を全住民による投票で決めるという、原発建設に賛成の人をも含めたより広範な住民団体(住民投票を実行する会)との共同が作られたことが、勝利への展望を切り開いた大きな要素である。そして、両者の運動はそれぞれ、独自に創意・工夫を凝らしながらも、ともに住民への厚い信頼に支えられて進められた。科学技術庁や電力会社の金に糸目をつけない総力を上げた宣伝や供応の動きに対しても、的確な反論・批判を行いながら、なお、住民への厚い信頼を基調とした運動が展開されたのである。

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 当時の感想めいた一文は今でも基本的には正しいと思う。
 巻での運動、刈羽村での運動、に参画させていただいてきた者として、今改めて、こうした運動から学び、柏崎刈羽原発の再稼働を止めるためには何が,どういう運動が必要か。いろいろな方のご意見もいただきたい。

 「原発を拒否したまちー巻原発住民投票20年」毎日新聞連載

  時あたかも、この3月22日から毎日新聞で表題の連載が始まった。
  連載記事はまだ続くと思われるが、とりあえず、今日までの4回分の記事を参考までに掲げておく。

毎日新聞巻年表 初日に掲げられた年表である。

毎日新聞巻特集1

毎日新聞巻特集2

毎日新聞巻特集3

毎日新聞巻特集4



活断層と震源断層

活断層と震源断層

 地震を引き起こす震源断層は、活断層の調査からどの程度推測することが可能なのか、今、私を悩ませている課題。
 何を今更、と言われるかもしれない。地震予測の王道として、地表地形に痕跡を残す活断層を調べて、その断層の長さと、地震発生層の厚さを基に、発生する地震の規模を推定するというのが、主流というか、ほぼすべての研究。
 断層や地震を専門とする訳でもない私が、こういう問題を提起しても受け入れられないかもしれない。しかし、それでも、原発の耐震安全性を検討する上で基本となるのが、活断層調査にもとづく地震規模の推定なのであり、原発の耐震設計はそれができると言うことを前提にしている。

   島根半島を東西に走る活断層
ー宍道断層は地下の岩盤中では破壊していない?!


  今年2月に、島根原発の安全性に関わって、日本共産党島根県議団、松江市議団に招かれて島根原発の耐震安全性を検討してお話しする機会をいただいた。これまでも何度か、島根原発の安全性を検討したことはあるが、今回、改めて島根原発敷地周辺の活断層と震源断層の分布を見て、なぜ、これほど違うのか、ちょっと説明がつかない現実に驚いた。

  第1図と第2図をよく見比べていただきたい。
 
微小地震  第1図 山陰から瀬戸内にかけての微小地震分布図。
 元データは高感度地震観測網・Hi-netの気象庁一元化処理データであり、期間は2002年6月から2016年02月まで。
 最初、中国電力による島根原発周辺の微小地震分布図(ほぼ同じ元データで作成されたもの)を見たとき、次の第2図との違いに驚いて、もう一度、こちらでも原データに当たって作成することが必要ではないか、ということで、新潟佐渡の元高校教師神蔵勝明氏にお願いして作成し直していただいた。私にはそんな力は無い。中国電力の図と大きくは変わらなかった。

活断層分布 第2図 島根原発敷地周辺陸域の活断層(中国電力作成:元データは活断層研究会編(1991)「日本の活断層」)

 第2図の中央右に、確実度Iとされる山崎断層系が走る。そして、この活断層の地下では比較的活発な微小地震が発生している、すなわち、岩盤破壊が進行している(第1図)。また、第1図の右下の大きな地震の集中している帯は、淡路島であり、兵庫県南部地震の余震域である。普通、活断層と呼ばれるものはこういうものだと思っていた。ところが、第1図と第2図を見比べると、島根県から山口県もしくは広島県にかけて走る帯状の震源断層はその一部は地表の活断層群に対応しているものもあるが、山陰の海岸沿いにほぼ平行して、走る地下深部での微小地震震源は、地表の活断層と対応するのはごく一部。
  しかし、第2図では小さくて見づらいが、島根原発の耐震安全性にとって、もっとも重要だとされてきた、原発敷地のすぐ南を走る宍道断層、更にその西にある大社断層、いずれも明瞭な活断層だが、その直下では地震の発生が認められないのである。

 地表地形に現れている、すなわち、かって、数度にわたってマグニチュード7クラスの地震に伴って形成された宍道断層は、今は地下では活動していない、すなわち岩盤で破壊が起こっていない、と言うことだろうか。

 一方、山陰の海岸に沿って走る震源の分布は、地表地形に現れる活断層よりも遙かに長く、地下では連続していることが見て取れる。とくに、島根県浜田市から山口県にかけて100km以上連続する震源は不気味である。

 なお、2000年に発生した鳥取県西部地震の余震の分布は島根県美保湾の南に北北西ー南南東に伸びる震源分布で示される。ただし、第2図では全く予測されていなかったことがわかる。
 第1図の海岸線に平行に見える震源の分布も、子細に見るとこの断層と同様、やや大きな地震を引き起こしたもの(赤丸で示される)は、それぞれ、一般的伸びに直行する北北西ー南南東の断層となっている。また、島根県中央部を北北西ー南南東に走るM3以上のやや大きな地震を起こしてきた北北西ー南南東の断層も、全く第2図にはない。

  活断層と震源断層の関係について、まだ、整理がつかない段階で紹介するのは心苦しいが、お知恵をお貸しいただければ、幸いである。

柏崎刈羽原発の沖合、佐渡海盆東縁断層と震源分布 

 この問題に関わって、柏崎刈羽原発の周辺も神蔵さんに描いていただいた。

新潟微小地震分布第3図 柏崎刈羽原発周辺の微小地震分布
 元データなどは第1図と同じ。

  2004年の中越地震、2007年の中越沖地震の震源付近には本震・余震が集中している。
  中越沖地震の震源の北方には,明らかに断層の連続が認められる。この一連の断層が佐渡海盆東縁断層(渡辺、2009)である。東京電力のいうF-B断層では、この断層を過小評価していることを示している。

 後日、補足します。

 


佐田岬半島のネオテクトニクス 予察

愛媛県伊方原発の耐震安全性
 佐田岬半島のネオテクトニクス 予察 報告

 年開けて早々,1月11日と12日,伊方原発を止める会の和田事務局次長の案内で,伊方原発周辺の段丘を見て回った.簡単に報告する.

 四国西部にあって,奇妙な形で海に突き出した細長い半島,佐田岬半島,その付け根に近い部分に伊方原発がある(図1).
 佐田岬半島と中央構造線
  図1  伊予灘から佐賀関にかけての活断層としての中央構造線と佐田岬半島(七山ほか,2002 に加筆)

 この佐田岬半島の沖合数kmから10kmのところを半島にほぼ並行に,日本でも最大級の活断層,中央構造線が走る.この中央構造線,およそ1億年前に活動を始め,現在も活動する.ちなみに,日本列島を横断する活断層,糸魚川ー静岡構造線はたかだか,2000万年の活動履歴である.問題は佐田岬半島がどのようにして隆起して現在のような奇妙な形をなしているのか,である.中央構造線の活動と関わっていることは容易に想像されるが,具体的な活動像は残念ながらまだ,分からない.四国電力も、原子力規制委員会も全く口をつぐんでいる.これは,どこの原発も同じ構図である.原発立地地域はどこもここ12~13万年の間に10数mから20m,隆起してきたが,その隆起がなぜ,どのように起こったかは不問に付している.こうした地球の歴史上ごく最近の地殻変動はネオテクトニクスと呼ばれている.

 四電の段丘分布図

 伊方原発の耐震安全性に関わって,この佐田岬半島が形成されてきたごく最近の地殻変動(ネオテクトニクス)の解明は必須の課題である.そうした視点から,佐田岬半島における12~13万年前以降の運動像を少しでも明らかにするために,半島における段丘の分布とその高度(図2)を予察した.図2は四国電力の伊方原発設置変更許可申請書の添付書類六の一部補正などで用いられている図である
四電段丘分布高度
  図2  佐田岬半島の段丘分布高度(四国電力,2015)

 この最も下位の段丘(M段丘)は,中位段丘と呼ばれるもので,この地域ではいずれも海成段丘とされる.海成の中位段丘であれば,およそ,12~13万年前の温暖期,海面が現在とほぼ同じ時期に堆積した地層ということになり、日本列島各地の沿岸地域の広く発達する.これが以下原発以西では高度にして20数mから30mに分布することを示している.それより高く位置するH3段丘は,さらにさかのぼって20数万年前の温暖期に堆積した地層である.従って,この半島は20数万年来,隆起を続けてきたことが見て取れる.

  問題は伊方原発より東方ではなぜ,中位段丘(M段丘)が無いのか.ということである.本来,中位段丘は最も良く発達する段丘で,高位段丘が浸食されずに残っている地点(佐田岬先端から50数kmや60km地点)でのH3段丘はM段丘の可能性がないのか
,ということについて調べることにした.なお,高位段丘堆積物は12~13万年前の温暖期に地表にさらされ、赤色土壌化しているのが普通であり,四電の報告でもそのように記述されている.しかし,ここの地点の記述はなされていない.

 伊方町亀浦の段丘

 原発周辺段丘
 図3 伊方原発周辺の段丘分布

  伊方原発の西方並びに東方に中位段丘(M段丘)が分布する(図2・3).西方の大成は昨年松山を訪れた際に案内して頂いている.今回,東の亀浦地内で段丘を確認した.
 DSCF2089.jpg
  図4 遠く,伊方原発が望める地に発達する中位段丘.図2・3に示されるH3段丘は確認できない.

長浜町(旧保内町)磯崎の平坦面

  四電の報告では段丘が分布しないとされるこの地では,段丘の可能性のある数段の平坦面が認められる.
DSCF2055.jpg 
  図5 磯崎のお寺,35mという標高が示されているが,このお寺の敷地は地盤がならされている可能性もある.イル
DSCF2057.jpg
  図6 お寺とほぼ同じ高さに広がる平坦面.バイパスが走る.

  なお,このお寺の東の山腹は地すべりを起こし,集落の住民は近くに団地を作って移転を余儀なくされているとのことである.
  住民の話では,地すべり防止対策で掘削したボーリングでは,硬い岩盤の上に軟らかい泥層があったとのことで,これが段丘堆積物の可能性もある.確認が必要であろう.

  時間的にも限られていたので,今回は大まかな予察に過ぎない.引き続き,段丘堆積物の確認を主とした調査に取り組みたいと思う.

  阿蘇火山灰の産状

  中位段丘堆積物を覆って,Aso-4火山灰が認められている(図2).記述によれば,特徴的な火山ガラスや褐色角閃石の結晶などが段丘堆積物が離水した後に堆積する風成堆積物中に混在しているとのことである.Aso-4火山灰は遠く,北海道東部でも厚さ10cm以上で保存されている火山灰である.四国西部でも厚く降灰したことが想定される.降灰後,流水で運び去られて,浸食され、ほとんど残っていない可能性もあるが,阿蘇が本格的に活動した際には,再び,大量の火山灰で覆われる可能性は否定できないであろう.

震源断層と活断層

震源断層と活断層
 -伊方原発の耐震安全性に関わってー


 原子力規制委員会はこの7月,伊方原発が新規制基準に適合しているとの判断を示し,地元伊方町と愛媛県は10月下旬,再稼働に合意しました. 
 ここでは,伊方原発の耐震安全性に関わる四国電力の報告やそれを了とした規制委員会の審査の問題点の一つを考えます.
 この問題は,他の原発の安全性にも関わる重大な問題です.

  
  中央構造線の浅層での形状

図1には四国電力の基準地震動を算定するために取り上げた検討用地震を示します.敷地に最も大きな揺れを与える地震として,総延長460kmに達する中央構造線が取り上げられました.東は近畿地方の金剛山地東,西は大分県に至る長大な断層です.
検討用地震 図1 伊方原発の基準地震動算定のための検討用地震

 四国電力は震源を特定して求める基準地震動として,規制委員会の指摘を受けて,中央構造線全長が動きうるものとして,650ガルを算定しています.

 中央構造線は伊方原発敷地前面の海底をほぼ東西に走る長大な活断層であり,その構造は多くの研究機関によって音波探査による調査が行われ,図2・3に示すような形態が知られています.四国電力も独自に調査を行って,ほぼ同じ構造を得ていることから,中央構造線をほぼ鉛直,一部急傾斜した断層としています.
推本調査図2 地震調査研究推進本部による上灘沖の中央構造線評価
堤グラーベン図3 堤他による伊予灘沖の中央構造線.

  図2のK-Ahとある線は,鹿児島の南西洋上の薩摩硫黄島(鬼界ケ島)の7300年前の巨大噴火で降り積もった火山灰で、鬼界アカホヤ火山灰と呼ばれるものです.これが,上灘北沖断層でおよそ10mずれています.一方,図3では,南北二つの断層で間が溝状に落ち込んでいます.こういう形態をグラーベンと呼んでいます.この図でもアカホヤ(この報告の出された1990年当時,この火山灰は鬼界カルデラからのものとは見られていませんでした)が顕著な反射面として認められ,断層で大きくずれていることが分かります.

  浅い海域あるいは陸域での中央構造線の形態はほぼ同様の構造を呈した,正断層もしくは横ずれの断層です.

   中央構造線は基盤の構造を分断する低角の大断層


   近年,深部の地下構造を把握するために各地で、大深度の地下構造探査が行われてきました.その結果,この中央構造線は北に低角で傾き,基盤の岩石を分ける断層であることが知られるようになりました.
  図4に,2002年に行われた四国室戸半島から香川県東方,さらに北の瀬戸内海に至る四国東部,瀬戸内横断の反射法地震探査の結果(佐藤ほか,2005)を示します.
中央構造線佐藤 図4 四国東部から瀬戸内横断,反射法地震探査断面の解釈(佐藤ほか,2005)

  この図のMTLが中央構造線で,BTLは仏像構造線と呼ばれ,これも東西に連続する大断層です.
  中央構造線は,西南日本を南北に分ける大きな断層ですが,北に位置する和泉層群の年代などから,およそ1億年ほど前の白亜紀後期から活動をはじめたとされています.同じように,日本列島を東北日本と西南日本に分断する大断層として知られ,今も活動する糸魚川-静岡構造線は,もっと新しく,2~3千万年前頃から活動しはじめたものと考えられます.

  地震を引き起こす断層は地質境界としての構造線,あるいは,表層の活断層?
  

     
   現在の規制委審査は,この問いへの明快な解がないまま,表層における活断層の性状を中心に震源断層を推定しているにすぎないのです.次に、四国電力の中央構造線の傾斜角に関するまとめを見てみましょう.規制委はこれも了としました.

四電解釈三崎沖エアガン

 図5 佐田岬先端に近い三崎沖のエアガン探査断面と解釈.

 この解析に基づいて,四国電力は断層の傾斜角について次のようにまとめました.
四電まとめ1

  どちらとも結論が出ていない状況で、なぜ,この自説に都合の良い(すなわち,高角だと断層面積が小さくなり,発生する地震も小さくなる)解釈に行き着くのか,はなはだ恣意的と言えます.

  しかし,問題はそのことにとどまりません.

  図5の右側の図の縦軸は、音波が反射して,帰ってくる時間,左の図はそれを深さの距離で表してあります.およそ,2秒が2km弱の深さとなります.

  実際に内陸地殻内の地震が発生する深さ(これを地震発生層と言います)は,4~5kmから10数km.実際にその深さの構造は四国電力のデータでは全く欠如しているのです.高角かどうか,浅いところの構造がそのまま深いところまで続くとかってに解釈しているだけなのです.

  ちなみに,瀬戸内西部ではしばしば地震が発生します(図6).
瀬戸内地震分布瀬戸内西部震源

  しかし,その震源の深さと,図4の断面を見比べれば分かるように,この海域での地震は,すべて,下部地殻、もしくは沈み込むフィリピン海プレートのスラブ内断層だとわかります.中央構造線の活動による地震はそれほど頻繁には起こっていないようです.

  浅層の構造と深部での構造の関わりが不明確だということは,表層部分で活断層の離隔距離5kmまでは連動を考慮し,それより離れていれば,連動を考慮しなくても良いとする2011年までの考えの甘さが分かります.地震発生層でこそ,どのようになっているのかが問題で,そのことが明らかでない以上,同じような線上に並ぶ活断層は全て連動する可能性があるものとして扱うべきなのです.

  要するに,今の地質科学や地震学のレベルでは,まだ,地震を発生させる地下の構造を解析できていない、と言うことです.
 
  この問題は全ての原発に当てはまります.
 
  浅層(陸域でも海域でも)で見られる断層の構造が地震発生層ではどういう形状をしているのかというデータ無しで議論しているのです.地震発生層は微小地震や余震による岩石の破壊域,他方で活断層は地質構造上のずれという、手法の異なるものが合体して、浅層での活断層がそのまま地震発生層まで延び,そこで地震を発生させると仮定しているにすぎません.
 
  原発というきわめて危険なものを扱っているという認識が足りず,耐震安全性を検討する上で,最も基本になる震源断層と活断層の関係を明確にしなければなりません.




  
プロフィール

立石雅昭

Author:立石雅昭
立石雅昭のブログへようこそ!
 福島原発の事故直後に新潟大学を退職。地質学を専門としています。それまでも原発の地盤問題に携わってきましたが、福島原発の事故はあらためてその恐ろしさを認識させてくれました。原発ゼロの運動を広げるために、新潟を中心に活動していますが、twitterやfacebookで書ききれない情報や思いを伝えられればとの思いからブログを始めました。よろしくお願いします。

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