新疆ウイグル自治区ツアー紀行(3)

中国・新疆ウイグル自治区ツアー紀行(3)
       故城の立地環境

 今回のツアーは都合9日間,もっと長い企画もあるが,初めての中国ツアーとしてはこのぐらいが最も適当かな.これぐらいでは全体像を把握したとは言えないでしょうね.何せ,変化に富んだ地形と気象,でも,雄大でそれぞれの規模が桁外れです.この厳しさと豊かさが同居した環境のもとで,まさに悠久の歴史が営まれてきたということを実感できるツアーでした.

 全体の訪問先が未知の方には分かりづらいでしょうね.ここに,中国の様々な情報を提供している「中国まるごと百科事典」から,新疆ウイグル自治区の地図を示しておきます.この地図には,各市や県(市のほうが大きい)のそばの名所が示されていて,便利です.
 新疆ウイグル自治区地図

  次に、訪れた遺跡などのおよその年代を,世界史年表(もう40年前の高校時代の教材)に書き込んでみました.あくまでも,自分で資料に当たりながら書き込んだものですから,正確とは言えませんが,おおよその目安だと思ってください.

ツアー訪問遺跡・故城年代表
  紀行(2)で取り上げた,南西部のホータン(和田)市郊外のマリクワット古城は漢から唐代にかけてとされています.

  訪れた全ての遺跡・故城を取り上げるわけにもいきません.
  地形的に興味深い遺跡を二つ取り上げます.

 スゥービシ故城

  その一つは,天山南路のクチャ(庫車)の郊外に立地するスービシ故城です.昨年,世界文化遺産に登録されたとのことです.
  スービシとはウイグル語で[水源]を意味しますが,それはこのチョブリ大寺が,クチャ河の源流のほとりにあったことから名付けられたとのことです.チョブリ大寺は東漢の末葉にたてられ,魏晋南北朝に盛時を迎えたとあります.[大唐西域妃」にも,その盛時の伽藍の様子が描写されています.
  世界遺産スービシ故城
  クチャ河を挟んで,東西両岸に広大な敷地(西側だけで1万平方km)に仏殿・僧坊・禅室並びに仏塔の建ち並ぶ仏教建築群です.平常時は河によって東側の遺跡には立ち入ることができないとのことです.
 スービシ故城西部 これは西岸の仏殿です.気宇壮大な建造物だったことが伺えます.

  さて,問題はこの大寺が建てられた位置です.一見して,広大な扇状地地形の上に立てられています.
  世界遺産登録の際の調査結果が,案内所兼事務所の中に一部飾られています.その地形図によると,寺院は天山山脈の南麓,広大な南傾斜の扇状地に建てられています.この扇状地地形は度重なる河川の氾濫で生じた洪水流がシート状に広がって形作られたと考えられます.放棄された後も,たびたび洪水で砂礫がまき散らされた様子がうかがえます.ただし,主要な河川であるクチャ河の河床からは30m~40mの高度にあることからすると,建造時にはすでにかなりの高台だったのでしょう.
 スービシ故城地形と分布地形図には,2000m級の山の高さが示されています.遺跡自体は,より小さな河川による氾濫・洪水を被ったものと思われますが,周囲にはかなり高い壁が張り巡らされていたようです.

東部シービス故城西岸の寺院跡から臨んだ東岸の遺跡です.深い谷を挟んで,高台に立つ,寺院跡が小さく見えます.

  交河故城(ヤルゴール故城)

  トルファンの西10kmに位置するヤルニイズ溝にある故城遺跡で,西漢から北魏まで,車師前王国の時代の都として建てられてたが,その後,幾多の変遷を経て,元代末に放棄された.分流し,再び交差する流路に挟まれた河川州に立地している.この河川州は,東西の長さ1650m,最大幅約300mの細長い形をしているが,現河床からは30~40mの高台をなしている.
故城全景 全体の概要を示した入り口の大きな標識.上下の河道に挟まれた細長い形態が見て取れる.下の河道沿いには陰が見て取れるが,これは崖をなしている.
高い崖の上の平坦な地形上に築かれた天然の要塞だね.

さて,問題はこの故城がどのように築かれたかと言うこと.
 ガイドの方の説明では,「版築」と呼ばれ,長さ1.5m,幅10cmほどの板で囲った中に砂や時に礫を注ぎ,突き固めて,少しずつ壁を高くしていく手法とのこと.この方法は,日本でも土壁や城壁の建造に取り入れられているそうな.
 私の見たところでは,元々の堆積物(砂岩)を掘り下げたところと,その上に築かれた人工的な部分の両方が存在しているということ.
交河故城基礎 この写真は,川を渡った低いところから,城の中に入って,高いところへと登っていく幹線道路沿いの低い部分の壁.これも人工と言われて少々面食らった.地層が形成された時の砂礫層と砂層が交互に重なった地層そのものに見える.
次の写真も,なだらかに登っていく道路.その両側の壁の様子が見て取れる.
故城幹線道路 壁に刻まれた縞模様は,地層を堆積させる川の流れによる砂粒子の沈着に伴ってできる葉理構造.両側の壁は元々,自然に削り込まれて居たところを掘って,整形して,幅を整えたものと見たがどうだろう.

 上の広大な平坦な面に近づくと,次々に立派な建築物が現れた.
交河故城仏塔 これは,一番下の基礎の部分をのぞいて,煉瓦や版築法による土壁.
広大な地に仏塔や社殿などもこの方法でたくさん作られていた.

夕日に照らされる故城
  時刻は夜8時,これは北京時間.ずっと西にあるこの地では,今が夕暮れ時.西日を浴びて,ひときわ遺跡が輝いて見える.














スポンサーサイト

新疆ウイグル自治区ツアー紀行(2)

新疆ウイグル自治区ツアー紀行(2)
        古城と遺跡巡り

  たくさんの古城と遺跡を巡りました.一つ一つの遺跡の歴史を語れば長くなります.ここでは,それらの古城・遺跡が立つ地形や地盤について感じたことを中心に書いておきたいと思います.まずはマリクワット古城.

 マリクワット古城
   タクラマカン砂漠の南部,隊商の町と言われるホータン(和田)市を流れるユルン・カシュ(白玉川)のほとりにある古城
マリクワット古城1 バイクの後ろに付けた荷車で,大小色々な石を敷き詰めた道?をがたがた揺られていった先の,吹きさらしの平坦な砂漠に忽然と姿を現した砂の城.一見して,これが遺跡? 人手が加わっているの?って思って質問して,案内されたのがその裏.
マリクワット古城2  これは明らかに人の手によって形作られている.近寄って良く観察すると,やや粘土質の砂が表面を多い,固められている.その粘土質の砂には,わら葛などが混じっている.
 この古城,維持・保存がさほど行き届いていないように思える.また,写真撮影には100元,地元の住民に余分に払わねばならない.考えれば,変な話.彼らが管理しているようにも見えない.

マリクワット古城3
 ホータンは紀元前から東西交易によって栄えた「于闐」(ウテン)と称されるオアシス都市国家で、この古城は,漢から唐代にかけて,防衛の拠点だったとされる.王城はもう一つの遺跡ヨートカン古城だったとされている.三蔵玄奘もヨートカン古城の方を訪れたとされる.

ホータン博物館:ひすい輝石の岩塊 ホータンは古来,玉(軟玉)の山地として知られるが,南に位置する崑崙山脈の雪解け水が夏から秋の間に山地の軟玉を下流のホータン近郊を流下するユルン・カシュ川とカラ・カシュ川へ押し流されてきたものとされている.なお,写真はホータン博物館を飾る軟玉の原石である.白玉,緑玉,青玉など多様な色調を示すこの原石はJaditeと記述されている.
 なお,ツアーでは,古城見学の後,このユルン・カシュ川の河原で白玉探しの時間が設けられたが,経験がないと見つけられるものではない.近隣の子ども達が,

新疆ウイグル自治区ツアー紀行(1)

新疆ウイグル自治区ツアー紀行(1)
 ータクラマカン砂漠ー


  9月19日から27日まで,西遊旅行のツアーで「新疆シルクロードの旅」に行ってきました.
  退職後,仕事を離れて,年に一度の海外旅行に出かけてきましたが,今回の中国新疆ウイグル自治区の旅は強い印象を残しました.何より,その雄大で,多様な自然環境とそこで長い歴史を築きながら息づいている多様な民族の生命力です.辺境と思っていたのは大間違い,ここにこそ,厳しい中だからこその豊かさがあります.

  まず,ウイグル語の「タッキリ(死)」と「マカン(無限)]の合成語といわれる「死の砂漠」ータクラマカン砂漠.
サハラ,アラビア,ゴビと並ぶ,巨大な砂漠.東西1000km,南北400kmで,その面積は日本の9倍.
 北を天山山脈,南を崑崙山脈という6000~7000m級の山脈に囲まれ,非常に乾燥していて,年間降水量は10数mm.
 砂漠中央を縦断することはきわめて困難で,かってのシルクロードも,砂漠の北縁のオアシスに沿う西域北道(天山南路),南縁のオアシスをたどる西域南道に分かれていた.

 1980年代後半,タリム盆地の油田探査が本格化し,中国の西気東輸プロジェクトなどの開発が進み,1995年に砂漠を南北に横断するタクラマカン砂漠公路の開通以降,さらに開発が加速している.2007年には石油開発・輸送を主たる目的として.南のホータン(和田)と北のアラル(阿拉爾)を結び,ホータン川に沿って走る430kmの第2砂漠公路(和阿公路)が開通した.現在はホータン(和田)から北のクチャ(庫車)までが結ばれている.

 9月23日,ホータンからクチャまで630kmに及ぶ専用バスの旅となった. 
第2砂漠公路
 公園になっている砂丘の山に登ると,砂漠の案内看板があった.

砂丘1
  公園になっている砂丘の山から西の砂漠を眺めた.このあたりは西風による砂丘の形状.
  道路に沿っているので,このあたりはかなり人手が入っているのではないかな.ちょっと手前の砂丘列の形は自然の形状と言うよりは人手による平坦な段切りと切り崩しがあるように思われる.ガイドは自然だと言うけれど.

砂丘2
  さらに北に進んで,道路から東を臨む.
  低いが,稜線が三日月状の弧をなす砂丘.このあたりは北からの風が強いよう.非対称な形で風上が緩傾斜が伺える.
  道路に沿っては飛砂で道路が塞がれるのを防止するために葦を主とした植え込みが行われている.3月から6月はかなりの強風で,車でも容易でないとのこと.
  なお,タクラマカン砂漠の東部ではもっと規模の大きな砂丘が発達するとのこと.
  おそらく,砂粒がもっと粗いのではないだろうか.
  このあたりの砂粒は極細粒砂.
  砂粒の大きさと砂丘の形状,風の強さには壮観が認められている.*これは時間ができれば,図を追加したい.
  
コヨウ
  砂漠の所々にこのコヨウの木が生えている.10~30mほどの地下に地下水があるとのこと.かって,紅衛兵が辺境のこの地に入植し,コヨウの木を大量に伐採した際,飛砂が激しくなり,現在ではコヨウの伐採・持ち出しは許されないとのこと.コヨウの木,生存1000年,立ち枯れに1000年,さらに朽ちるのに1000年と言われるそうな.
  なお,この砂漠地域にはほかにタマリスクという木が生えているそうです.
  動物の野ウサギなどが居るようです.
  
アムール川
  さらに北上して,ようやく,タリム川.幅の広い,大きな川です.水量は決して多いとは言えませんが,流れています.
  タリム川は、崑崙山脈に源を発するホータン川,天山山脈に発するアクス川,西のパミール高原に発するカシュガル川,ヤルカンド川などが合流して,東に流れ下る.その先には「さまよえる湖」,ロブノールが位置している.
  
機上から
  最後に,ウルムチから北京への機上からみた,タクラマカン砂漠の砂丘の写真を一枚.
  東に向かって飛んでいるので,写真の上が南.写真の上部と下部で砂丘の形が明らかに異なるのが見て取れる.
  

プロフィール

立石雅昭

Author:立石雅昭
立石雅昭のブログへようこそ!
 福島原発の事故直後に新潟大学を退職。地質学を専門としています。それまでも原発の地盤問題に携わってきましたが、福島原発の事故はあらためてその恐ろしさを認識させてくれました。原発ゼロの運動を広げるために、新潟を中心に活動していますが、twitterやfacebookで書ききれない情報や思いを伝えられればとの思いからブログを始めました。よろしくお願いします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR