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柏崎刈羽原子力発電所の敷地内の断層について(2)

 4月29日に行った記者会見での説明資料です。全部で16葉の図表ですが、ここでは主なものだけを掲出します。要請書で指摘した以下の3つの論点についての説明です。
 1.柏崎平野南部の中位段丘構成層堆積物中の藤橋40火山灰の年代層序について。
 2.大湊砂層の堆積過程と中子軽石(NG)火山灰の年代について。
 3.地殻変動を考慮しない段丘形成過程について。

まず、これらの問題点が、なぜ、敷地内の断層の活動年代に関わる問題になるのか、という点です。

敷地内断層活動年代旧版 図1:敷地内断層の活動年代(東電資料)
    東京電力は、東北地方太平洋沖地震後もしばらくは敷地内23本の断層の活動年代を図1のように示していました。最も新しく活動したα・β断層は、安田層を細分したA3部層の堆積時に活動しているとしていました。下位のA2部層と上位のA3部層は一部不整合としていました。

敷地内断層活動年代新盤 
  図2:敷地内断層の活動年代に関すわ最新(2017.4.25)の敷地内地質層序区分。

 この図でも、A2部層とA3部層は一部不整合とされる。A1ならびにA2部層は高位段丘堆積物(周辺では青海川層と呼ばれる)に相当する。それを部分的にしろ不整合で覆うA3、A4部層を年代的に高位段丘層に相当する20万年前まで連続させることはできない。

 1.柏崎平野南部の中位段丘構成層堆積物中の藤橋40火山灰の年代層序について
 そもそも、地層のおおよその年代は、その地層の固さや色調といった産状から推定される。その上で、微化石や火山灰等で細かく検討されるものである。
 図3は、柏﨑市藤橋において、1992年から93年にかけて、新潟工科大学の建設工事が行われてい当時の、取り付け道路工事に見られた露頭写真である。この露頭は、荒浜砂丘団体研究グループ(1996)とともに、岸ほか(1996)でも、その柱状が記述され、ともに、中位段丘構成層の安田層とされている。この露頭から、藤橋40をはじめ、下位から藤橋10、藤橋20、から、藤橋70までの一連の火山灰が産出した。その柱状は要請書(前回ブログ掲載)の図3に示されている。 
藤橋工事中写真1
  図3: 柏﨑市藤橋の1993年当時の露頭写真。シルト層を主とするが、やや灰色がかった細粒~中粒の砂層を挟む。 この地層は中位段丘堆積物の模式地とされる、柏﨑市横山の安田層と同じ、一連の堆積物である。東京電力は藤橋40火山灰を、下北沖に見いだされたG-10火山灰と対比し、この地層の大部分を高位段丘相当層とせざるを得なくなったのである。

  東京電力が、こうした野外での地層の三条を無視した解釈に追い込まれたのは、敷地内断層の活動年代を、どうしても現在の規制基準(これ自体問題を含む)である、活断層は12~13万年前以降に活動した断層という定義に照らして、より古いものとしなければならないからである。
  その唯一の根拠が、敷地内の刈羽テフラ(=藤橋40火山灰)が、2014年にMatsu'ura ほかが報告した下北半島沖の海底堆積物中に見いだされた一群の火山灰のうち、23万年という年代が推定されているG-10火山灰に主成分組成から対比されるというものである。
 しかし、この主成分組成にもとづく対比には問題がある。
 G-10火山灰と同じ組成を示すのは、より下位にあり、32万年前という年代が推定されるG-14火山灰もほぼ同じ組成を持っている(図4)。
下北沖Gシリーズと刈羽テフラ   図4: 刈羽テフラ(=藤橋40火山灰)と下北半島沖のGシリーズの火山灰の組成

  藤橋の一群の火山灰は、図5に示すように、柏崎平野の北方まで分布する中位段丘構成の安田層中に広く追跡可能な火山灰であり、藤橋40火山灰より下位の地層がすべて、高位段丘堆積物に相当する青海川層に対比されるとする東京電力の解釈は、これら各地の中位段丘を構成する主たる部分もより古い時代の地層とすることとなる。
火山灰対比
  図5: 柏崎平野の安田層(中位段丘構成層)中に火山灰層の対比(荒浜砂丘団体研究グループ、1996)。

 2.大湊砂層の堆積過程と中子軽石(NG)火山灰の年代について
  
 東京電力は、安田層を覆う大湊砂層の下部からカミングトン閃石が産出する火山灰を中子軽石(NG)に対比し、その年代を13万年としている(図1)。
 研究会ではあらためてその産出層準やその構成鉱物の調査を行い、刈羽村十日町や柏﨑市長崎で中子軽石を確認(要請書の図6)した。両地点とも、大湊砂層の最上部の試料から、下の図6に示すような自形の有色鉱物を多く含む、火山ガラスのほとんど見られない火山灰を、中子軽石(NG)と同定した。
長崎顕微鏡写真
  図6: 柏﨑市長崎における大湊砂層最上部の砂層中の火山灰層の顕微鏡写真
 
東京電力は敷地内を含むいくつかの地点で、この中子軽石(NG)を挟む大湊砂層の下位に、汽水性環境下で堆積した安田層下部を認めている。要請書でも触れているが、大湊砂層は、地球温暖化に伴って海面が上昇し、敷地周辺から北部にかけて広く海岸が広がった時期の堆積物であり、その下位に海水準上昇期の堆積物(安田層下部)が存在することは、この安田層と大湊砂層は13万年前以降の最終間氷期(図7)の堆積物であり、大湊砂層の堆積時期は、海面がなお数10mも低い13万年と言うことはあり得ない。汽水環境下の安田層下部の堆積時期が13万年以降であり、大湊砂層は海面が最も高くなった12.5万年以降、中位段丘堆積物が離水する時期の堆積物とするのが合理的である。
海水準変動2     図7: 30万年前以降の海水準変動曲線。下部に酸素同位体ステージ区分が書き込まれている。

  3.地殻変動を考慮しない段丘形成過程について

  柏崎平野周辺の地質を広く調査した岸ほか(1996)は、大湊砂層や安田層の上面の標高分布図を描いた(図8)。東京電力は、かって、この図をもとに、こうした地層は水深20mに及ぶ平底型の潟湖とその海岸線の堆積物とする説を唱えた。一方で、安田層は、現在の平野を流下する河川の勾配に近いので、その分布高度は河川勾配だという説も唱えていた。
  しかし、この図は、敷地周辺地域の12~13万年以降の地殻変動を示している。海水の影響下(その海面高度はほぼ現在のゼロメートルに近い)でほぼ水平に近い傾きを持って堆積した地層が、堆積後北では約45mまで、南では約30mを超す高さまで隆起したことを示す。中心部分でさえ、20mは隆起していることが読み取れる。
東電地殻変動
       図8:柏崎平野の段丘面の高度分布(東京電力の資料から)

  東京電力は、この地域の12~13万年前以降の地殻変動を無視する解釈を一貫して取ってきたが、2007年の中越沖地震で、この西山丘陵地域から東の頸城給料にかけて、傾動したり、褶曲の携帯に調和的な運動が観測されるに及んで、地殻変動の全面的な否定は出来なくなった。
 しかし、4月27日の刈羽テフラの関する東電の見解(1)では、また、過去30数万年前以降の周辺地域の地殻変動を考慮しない、段丘形成過程のイメージを示した(要請書の図8参照)。
 
 5月29日の記者会見では、研究会は、段丘の現在の概念を、とくに、その高度に軸をおいて示した(図9)。 
 
段丘構成層
           図9: 柏崎平野周辺の段丘の高度分布概念図 

  こうした段丘の基本的概念が身についていれば、東電の段丘形成過程のイメージ(要請書の図8)が描かれることはないであろう。なお、東電はその後、さすがにこの指摘には答えざるを得ず、修正を試みている。これについては、次の稿で論ずることとする。

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立石雅昭

Author:立石雅昭
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 福島原発の事故直後に新潟大学を退職。地質学を専門としています。それまでも原発の地盤問題に携わってきましたが、福島原発の事故はあらためてその恐ろしさを認識させてくれました。原発ゼロの運動を広げるために、新潟を中心に活動していますが、twitterやfacebookで書ききれない情報や思いを伝えられればとの思いからブログを始めました。よろしくお願いします。

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